3DSBA創立した当時はシャドーボックスアートネットワークと名づけられた団体です。 シャドーボックスは2001年頃それぞれ先生方が各教室で普及を目指していましたが 横のつながりのあった3人の先生方が危機感を持ち 合同展をするなどでシャドーボックスの普及発展を目的に結成されました。 なんの後ろ盾もなく独学の私がどういうわけか創立時から お声をかけて頂きメンバーから理事(現在7名)と言う肩書きとなり今に至ります。 優秀な先生方の中に入ってしまったがため 自分の能力の無さと未熟さを突きつけられながらも 活動を通してたくさんの学びがあり感謝しています。 最初はワープロもパソコンも出来ずメールすら送れず 「覚えてください」と言われました。 展示会の仕方、DM印刷、当番のこと、レイアウトのこと・・・ 20年来の「展示会嫌い」もそういったやり方を学んだからこそ克服できた気がします。 そんな思い出話に触れた訳は先日の北千住の展示会で 20年前から作っているという80歳前後の男性が現れ 「なんでAnton Pieckはプリントも売っていないし 作っていないのか」など質問されたからです。 私自身は自分の好みのもっときれいな絵柄を立体にして飾りたいです。 Antonは構図や人物、建物他 絵柄が大変シャドーボックスに向くのですが 現代のインテリアに中世のオランダの風俗を描いた作品はなじみにくいとも思っています。  たしかに25年前は皆が作っていました。 シャドーボックスはそういうものだと思って習い、作っていましたよね。 私たち協会の理事の間では創立のかなり早い段階から 「見飽きたAntonは合同展で出さないこと」 「他の理事が作った絵柄は基本的に協会の合同展ではその後出さないこと」と言う 取り決めがあるのです。これはけっこう厳しいことだと思います。 「私たちはシャドーボックスの新しい魅力を打ち出す側です」 そんなことを言っていたのもずいぶん前ですので 私もいつの間にか自覚を持ち、人のやらないことに知恵を絞り 新しいプリントを探し(印刷し)て日々奮闘しているつもりです。 良い物は真似される宿命を負うので 出来れば常にその先を行けたらなぁと願っています。
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